香椎の名所案内

香椎宮
西征中この地で没した仲哀天皇の霊を、神功皇后が祭ったのが宮の起源とされる。仲哀天皇、神功皇后を祭る神社で昔は香椎廟と称し、皇室の崇敬も厚かった。「香椎造」の本殿は重要文化財指定。

古宮と棺掛椎(かんかけしい)
西暦391年頃のこと、第14代仲哀天皇が新羅(現在の朝鮮半島の南部)遠征のために本陣を置かれたのが古宮跡、急死された天皇の棺を本陣の椎の木にかけておいたところ、四方に異香を放ったので、以来香椎の地名がついたと言われている

不老水と武内宿禰
仲哀天応に使えた大臣、武内宿禰が掘った井戸がある。その水を飲んで武内宿禰は300歳まで生きたという言い伝えがあり、不老水(日本名水100選)として家屋敷と共に残っている。

大槙の木
古宮の棺掛椎に掛けられた仲哀天皇の棺を造ったと言われる槙の木である。

香椎宮と綾杉
神功皇后は、急死された仲哀天皇の身代わりに、男装して新羅遠征に出かけた。無事帰征された皇后は剣と鉾と杖を土に埋め、袖につけていた杉を現在の香椎宮桜門前に植えられた

頓宮(とんぐう)
鹿児島本線まで歩くと、左側に頓宮がある。その昔、鳥居の向こうは海で、頓宮から海へ向かって階段が続いていた。線路を作るときにこわされ参道の方に新しく道が作られた。神宮皇后の遠征時の大行列を偲んで2年毎に大神幸が行われ、本殿から頓宮まで笛、太鼓、の古式ゆかしい行列が続く。

御島神社、片男佐、鎧坂、かぶと塚、浜男のいわれ
御島神社(満潮の時には鳥居しか見えない小さな島)は、神宮皇后が髪を海につけて”新羅遠征をすべきなら、髪は分かれて二つになれ!”と占ったところ。髪が自然に二つに分かれたので、ミズラ(男装)に結い、浜辺(片男佐海岸)に渡って来られた。その時頭だけ男装の姿だったので半分男という意味で”片男佐”と名付けられたといわれている。同じように、鎧をつけて歩いていたところを”よろい坂”、かぶとを着けたところはか”ぶと塚”と呼ばれ石碑が建っている。こうして男装に身を固め、仲哀天皇の身代
わりができあがり、海浜を男姿で威風堂々と歩いたので、”浜男”と呼ばれるようになった。現在は浜男通りという地名が残っている。

香椎ゆかりの万葉集

いざ子ども
香椎の潟に白たへの
神さへ濡れて
朝菜摘みてむ

  師 大伴卿(おおとものまへつきみ)


口訳 さあみんな(部下をさす)香椎の潟で着物のまま袖まで
   ぬらし朝食の海藻を摘もうよ。



時つ風
吹くべくなりぬ 香椎潟
潮干の浦に
玉藻刈りてな

  大弐 大野老朝臣(おおのおゆあそみ)

口訳 満潮になるときに吹く風が吹きそうだ。早く香椎潟の
    潮干の浦で美しい藻を刈ってしまおうよ。




往き帰り
常に吾が見し 香椎潟
明日ゆ後には無し

  豊前守 宇努首男人(うののおびとをひと)

口訳 行き帰りにいつも私が見た香椎潟は、もう明日から後は
   見るすべもないことだ。

この歌は男人が転任することになったので、大伴旅人が香椎宮
参拝に部下を連れていき、その帰り道、香椎潟に足を止め、
めいめいに思いを述べて作った歌である。この他、古今和歌集
の中にも香椎を歌ったものがあり、香椎宮の境内にその碑が
建っている。

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